戦争と映画

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昨日、早稲田大学の大隈講堂で森達也さんやPANTAさん切通さんたちの出演するシンポジウムに参加してきた。

内容は、様々な表現が抑圧されていく昨今、さて戦時下に置かれていた日本の当時の映画界の様子はどうだったかということで木下恵介監督の「陸軍」を見た後にパネルデスカッションをするイベント、
「陸軍」は戦時中のプロパガンダとして作られた映画なんだけどラストの田中絹代の息子を思う演技に反戦の色が見えるということで検閲で賛否がついた作品。
ざっくりと物語を説明すると、幕末から日清、日露、満州事変と変化する時代を田中絹代が演じる母親が父の遺言に従い優しい息子を立派な軍人に育て上げる話。
どこに反戦の色が見えるかというと、田中絹代が息子の出征の行進を追いかける姿に母親としての切々とした思いが表現されていて問題視されていたようです。
つまりこれ勝手な解釈ですが敵前では無心で殺しあいをしなければならないのに親の情けや里心は軍人として妨げになるといった意味合いなのでしょうかね。

さて、デスカッションではホントに面白い話が矢継ぎ早に飛び交う。
「そもそもすべての戦争映画は反戦映画として受け取ることができるのです」「抑圧された環境の方が面白い作品がたくさん出てくる」と森さん。
そして何故に人間は殆どの人が戦争を悲観してしているのに戦争し続けるのかという話に。
ここから益々目が離せなくなる。

そもそも自分は右翼だ、左翼だ、あいつは馬鹿だ、あいつを倒せ、って話はあまり好きではない。
そんな表層的な問題で共感を求めることに徒労しても何も満たされないんです。
人を嫌悪したり物事に腹を立てることに疲労を感じるので、むしろそういうことには関心を持ちたくないのです。
それじゃぁお前は何なんだって思う人もいるかもしれないけど、嫌悪感を持つ前にどうしてその人はそういう行動をするのか、なぜそういう言動が生まれるのか、それらを裏付ける真理が知りたい。
そう、ただただ知りたいのです。
そこが結局自分のマイノリティとしてのストレスを開放するポイントだったり、こんなダメな自分でも社会とコミットできてるかもしれないと勘違いさせてくれる慰めにもなっているのです。

さて映画の話に戻って、僕が感じたラストの田中絹代とその息子の出征の場面
戦場で死んでほしくないという希望と、ひ弱だった子供が立派な軍人になってくれた母としての子育てを全うできた優越感が入り混じる、「お国のために」といった世間体の中で一心に子育てをする場面も終始登場するが結局は母であり女である田中絹代が圧倒的で、ある種「母親」特有のおぞましいエゴとも見えるんです。
「それが『出征の行進に国旗を振る民衆(世間体)をかき分け(抗う)て息子を追いかける』木下監督なりの軍国への反抗のメッセージなのかなぁ」と森さん
パネラーの方たちが口をそろえて言われた強烈な母性、僕はその母性にこそ子供の為なら一線も超える、コミュニティーを維持することができるなら全体主義への傾倒すらも許容してしまう秘密があるのではと勘ぐってしまったのです。

またまた森さんおっしゃってましたが近代の戦闘においては殆どが侵略を目的としているのではなく自衛の為の戦闘なんだと、つまり幸せな環境を維持したい、財産を守りたい、そして愛するものを守りたい、そういったものが脅かされるくらいならミサイルのスイッチを押せる指導者でも支持することができる。
僕は「抑止力」を信仰している人は基本的に臆病で無知な人たちなんじゃないかと短絡的に考えていたんだけど、そんな単純なことではなくて文化によってコミュニティーを形成する人間の本質に係ってくるのかなと、そんな事を考えさせられた映画でした。

まぁそれにしても長年憧れた森さんを前にして興奮を悟られないようにしようとしたはずが、結局支離滅裂に話しまくって前田日明vs田村潔みたいになってしまった自分は相変わらずミーハーだなぁと(笑)
はぁ、大学に入って授業受けたい・・・


最後にPANTAさんの車に乗せてもらって帰っているときにジョンレノンのイマジンの話になり「愛してるって言葉は自分が愛されたいときに出てくる言葉だから、なかなか愛してるって言えないんだよ」ってPANTAさんがおっしゃっていて、先日ご一緒した「沈黙」の帰り道と同様に一日を締めくくった感じがしました。
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# by mojo-m | 2017-04-23 23:51 | Trackback

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