Black And Blue
2009年 09月 22日
最近、手前で立ち上げたMOJO GROOVEという野外イベントのことで頭がいっぱい、そして、少々破裂気味になっていたので、
夕方までJ.com(地元のケーブルTV)と夏結びフェス(航空公園)でのプロモの作業を終え、
スイッチを少しだけオフにしようと思い、
お客様のハッシュ吉田さんのライブに池袋のアダムまで行ってきた。
まぁしかしオフにはなりませんな、ライブハウスを隅々チェックしてどこかプロモーションは出来ないものかと思考してしまう。
ライブに関しては吉田氏の思いが出演者とお客さんによく浸透していて一見の僕にも非常に楽しめる企画でした。
そのあと、MOJO GROOVE関連の打ち合わせが入っていましたが流れてしまったので、そのまま打ち上げに参加する。
その席で、横浜から来ていたパンクバンド(同世代)と話していたら「アップンダウン」のマスターが亡くなったことを知らされる。
http://koganecho.blog73.fc2.com/blog-entry-31.html
彼らはそこの店員だったり常連だったり、つまり亡くなったマスターのヒデさんは彼らにとっては先生であり兄貴であり親父であったりしたのでしょう。
数年前からウェブ上でアップンダウンが気になっていて、他に程度のいい店など五万とあるのに、昨年かみさんと横浜に行くことになり、あえて伊勢佐木町に宿をとりヒデさんに会いに行ったのが昨年の10月。
彼が亡くなったのは12月
肝臓をやってしまったみたいだ。
僕は仕事上、常に沢山の人と会うので、気の合う人と出会ってもあえて深いコミュニケーションをとらないことがある。
不思議なことに気の会う人というのは向こうも理解しているようで、あえて感じたものを「言葉」というツールに置き換えるような野暮なことはせず、最後にガッチリと握手して、にやっと笑っておわるのです。
一期一会を楽しんでいるのでしょう。
彼とは一度しか会ってはいません。
僕らが店内に入った時には年配の男性客が一人いて、かかっていたのはクラプトンでした。
その人が帰り、僕ら以外誰もいなくなったら、クラプトンを途中で切ってThe Rolling StonesのBlack And Blueをかけたのです。
僕も同業者だから解るのだけれど奇跡的に客のリクエストを先読みできる時が稀にある。
それからは旧知の仲の如くお互いゆっくりと会話して握手してバイバイ
それだけの話
先日、知人との会話で「相談」について意見が分かれた。
幼少の頃、母親にちょっとしたことで「キチガイ」といわれ、
その直後にマイノリティーを自覚してしまい今まで生きているのですが、
おかげで僕は他人に自分のプライバシーを相談したことが今まで一度もない。
なぜなら、どうせ自分が置かれている状況、今までの生い立ち自分自身の力量などというものは、誰にも、僕自身以上に理解できるわけはないから、
時たまに、他人に打ち明けるというようなこともあるが、それは自分の中ですでに結論が出たものであったりするから。
母親に感謝
僕は人生は一本の映画のようなものだと思っている。
常識を逸脱しようが、法律を飛び越えてしまおうが、
評価されるのは、それが面白いか、面白くないかだけ
だから僕は一キャストであり監督として、全てを自分の責任の下に独断で小さな選択を繰り返す。
朝起きてから履く靴下や、コンビニで手に取るサンドイッチ、小さな店の中で起きた、たわいのないトラブル、帰り道はどこ通るとか・・・
たぶんヒデさんも繰り返していたのでしょう、そして決断してきたのでしょう。
独り黙々と、誰にも相談せず。
そろそろ朝ですね、
おやすみなさい。
夕方までJ.com(地元のケーブルTV)と夏結びフェス(航空公園)でのプロモの作業を終え、
スイッチを少しだけオフにしようと思い、
お客様のハッシュ吉田さんのライブに池袋のアダムまで行ってきた。
まぁしかしオフにはなりませんな、ライブハウスを隅々チェックしてどこかプロモーションは出来ないものかと思考してしまう。
ライブに関しては吉田氏の思いが出演者とお客さんによく浸透していて一見の僕にも非常に楽しめる企画でした。
そのあと、MOJO GROOVE関連の打ち合わせが入っていましたが流れてしまったので、そのまま打ち上げに参加する。
その席で、横浜から来ていたパンクバンド(同世代)と話していたら「アップンダウン」のマスターが亡くなったことを知らされる。
http://koganecho.blog73.fc2.com/blog-entry-31.html
彼らはそこの店員だったり常連だったり、つまり亡くなったマスターのヒデさんは彼らにとっては先生であり兄貴であり親父であったりしたのでしょう。
数年前からウェブ上でアップンダウンが気になっていて、他に程度のいい店など五万とあるのに、昨年かみさんと横浜に行くことになり、あえて伊勢佐木町に宿をとりヒデさんに会いに行ったのが昨年の10月。
彼が亡くなったのは12月
肝臓をやってしまったみたいだ。
僕は仕事上、常に沢山の人と会うので、気の合う人と出会ってもあえて深いコミュニケーションをとらないことがある。
不思議なことに気の会う人というのは向こうも理解しているようで、あえて感じたものを「言葉」というツールに置き換えるような野暮なことはせず、最後にガッチリと握手して、にやっと笑っておわるのです。
一期一会を楽しんでいるのでしょう。
彼とは一度しか会ってはいません。
僕らが店内に入った時には年配の男性客が一人いて、かかっていたのはクラプトンでした。
その人が帰り、僕ら以外誰もいなくなったら、クラプトンを途中で切ってThe Rolling StonesのBlack And Blueをかけたのです。
僕も同業者だから解るのだけれど奇跡的に客のリクエストを先読みできる時が稀にある。
それからは旧知の仲の如くお互いゆっくりと会話して握手してバイバイ
それだけの話
先日、知人との会話で「相談」について意見が分かれた。
幼少の頃、母親にちょっとしたことで「キチガイ」といわれ、
その直後にマイノリティーを自覚してしまい今まで生きているのですが、
おかげで僕は他人に自分のプライバシーを相談したことが今まで一度もない。
なぜなら、どうせ自分が置かれている状況、今までの生い立ち自分自身の力量などというものは、誰にも、僕自身以上に理解できるわけはないから、
時たまに、他人に打ち明けるというようなこともあるが、それは自分の中ですでに結論が出たものであったりするから。
母親に感謝
僕は人生は一本の映画のようなものだと思っている。
常識を逸脱しようが、法律を飛び越えてしまおうが、
評価されるのは、それが面白いか、面白くないかだけ
だから僕は一キャストであり監督として、全てを自分の責任の下に独断で小さな選択を繰り返す。
朝起きてから履く靴下や、コンビニで手に取るサンドイッチ、小さな店の中で起きた、たわいのないトラブル、帰り道はどこ通るとか・・・
たぶんヒデさんも繰り返していたのでしょう、そして決断してきたのでしょう。
独り黙々と、誰にも相談せず。
そろそろ朝ですね、
おやすみなさい。
by mojo-m
| 2009-09-22 04:20
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