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二十歳の思い出

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この写真は二十歳の頃、明け方、井の頭公園にて

19歳から21歳までマルイと公園の間の仲屋むげん堂の上に2万5千円のアパートがあったので、
友達の親を保証人にして借りて、その友達(男)と2人で住んでいた。
4畳半である。
松本零士の影響もあるが、経験こそが真実だとヒッピーの様な思想を持っていたので親元を勝手に離れて吉祥寺を選んだ。
トイレ、台所は共同で風呂無しだった。
小遣い稼ぎに路上でパフォーマンスをすると、自然と仲間が増えて、
家主がいないのに部屋にはいつも誰かいて、窮屈なので公園で寝ていた。
「平成」になったばかりで、バブル真っ盛りである。


近所に「ゴールデンバット」っという過激派のアジトの様な店があり、
そこでお通し代とビール一本分の飲み代をはらって、出鱈目なオジサンたちの機嫌を取っては酒をたかっていた。

その下に「のろ」という店があり、たまにそこにも行ったりしていたが、
「のろ」に行くとだいたい酔っ払った高田渡が独りでいてギョロっと睨むので、ちょっとやだった。

ミッキーという露店のオジサンと自分は、また仲が悪く
なぜかというと、彼の横で僕がへたくそな歌を叫んだり暴れたりすると、営業妨害だなどと言われ、
それでいつもどやされてしまう。

ある日、ミッキーさんが機嫌よく話しかけてきて「おまえら、のろで面白いイベントやるから遊びに来い、鉄アレイも来るぞ」と言われ、
(何だか僕はパンクロッカーと勘違いされていたようだ)
毎日が死ぬほど暇だったので何となく顔を出した。

その時に見たことがある人がいるなぁと思ったら、かつてのローザルクセンブルク、その時はボ・ガンボスのドントでした。
他には永井さんとゼルダの人
飛び入りで何曲かやってくれて凄くカッコよかった。
しかし残念ながら、薄っぺらい青二才の自分にはそこにいた本物の先輩達とは何一つコミュニケーションが取れず、
そそくさといつもの公園へ帰り、日課の如く、当時浮浪者からホームレスと呼び名が変わった季節労働者と朝まで焼酎を飲むのです。




11月3日に
モジョにハッチー・ハッチェルと吾妻光良トリオがやってくる。
吾妻さんのバンドのドラムはスインギン・バッパーズの岡地明曙さん
そして岡地さんはボ・ガンボスのドラムでもあります。


今、思うと「のろ」での思い出が、何か「モジョ」の青写真になっていたような気がしたりして、
吾妻さんに対する思い出も沢山ありますが、それはまた今度。

11月3日は、自分にとってふんどしを締めなおすような感じです。
Tracked from ぎゃんちゅ at 2009-10-24 21:22
タイトル : やらねー奴バカだろ(^^;
んーーーぅぅうぅうううもみもみいいいいい! 会った瞬間に「おぱいぱいー!」って言いながらワシワシ乳 揉んだら 相手も思いっきりティン コしごいてきてちょーノリノリだたよお!!! ヤ る前から3 万くれて終わってからまた5 万くれたし何この魔法www ... more
by mojo-m | 2009-10-23 02:59 | Trackback(1)

所沢の音楽喫茶「MOJO」店主が綴る寝言の数々


by mojo-m