母親とシャネルとストラビンスキー
2010年 10月 16日
僕が生まれる前から現在も、お弟子さんは10人くらいはいるのかな?
本人曰く芸術家でもなく演奏家でもなく稽古屋なんだと、自分を称している。
そこには、NHK(たぶんNHK邦楽技能者育成会のこと)に行くか結婚するかに迷った末、後者を選んだ苦悩を未だに語るので、稽古屋としてのプライドと共に別の重たいものを感じる。
「ココ・アヴァン・シャネル」と「シャネル&ストラヴィンスキー 」
「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」の若松孝二に対して「レッド」の山本直樹みたいなものか。
「ココ・・・」と「実録・・・」の共通点、
赤に思いがある人間が赤を懐古して周りが軽く引くように、
フェミニストの人間をフェミニストが描いちゃいつまらないんだよなぁ、と思ったりして。
チョット言い方が乱暴でしょうか?
随分前から「プログレ好きならストラビンスキーだ」ということを先輩方から言われていたこともあり、
最近は独りになるといつも「火の鳥」を聴いていた。
小学生の頃「がんばれベアーズ」を観てビゼーの「カルメン」に填まり、TVタレントを嫌悪していたせいか歌謡曲は一切聴かず、映画音楽を中心としたクラシックのレコードを片っ端から聴く。
気に入っていたのはドボルザークとワグナー、マーラーだったかな?
勿論、ストラビンスキーも手塚治虫のアニメファンだったので「火の鳥」という記号に引かれて聴いていた。
しかしまぁ、40歳にもなると解釈が違うね(あたりまえだ)
「シャネル&ストラヴィンスキー 」
面白かった!
不倫をする人の心理描写が・・・ん~凄い、さすがフランス人。
っていうことで、また稚拙なところに視点が向かってますねオレ。
ゲス野郎です。
「おまえは芸術家ではない、洋服屋だ」 ストラビンキーがシャネルに言うところ、
冒頭の母親の「稽古屋」を思い出した。
そういえば、基本的に外出には着物を着る母ですが、シャネルの「NO5」が好きで、自分につけるというよりハンドバックの中に垂らしていた。
持ち物が「NO5」の匂いで満たされるのがいいらしいのだ。
持ち物といったって文庫と財布、コスメ、ガムくらいである。
こういった贅沢の仕方に僕は幼心に感心したのを覚えている。