レゲエと私
2011年 06月 23日
またしても20年前の話、時は1990年
ミクシーを見てない方の為に説明しますが、ビートUKがお洒落すぎて苦手でした。
付け加えるならば「渋谷系」というか渋谷という街が苦手でした。
バブルと云うものはマーケティングされたどうでもいいものが横行していてその見極めがまたややっこしくて、
例を上げるときりが無いのですが・・・
今、思えば「イカすバンド天国」というオーディション番組で審査員の土屋正巳が本番中に激怒した瞬間がバブル経済の弾けた瞬間だったのかもしれません。
それで僕はと云うと吉祥寺でぶらぶらしていたのですが、
当時、僕の住まいは仲屋むげん堂の上にあったり、まぁ吉祥寺というのはある種の異次元で、
DCブランドを着込んだ方々もいれば皮ジャンに民族衣装が混ざったいわいるストリートスライダースな方々がいたり、その中にレゲエなども混ざっていてファッションではラフィンノーズのポン氏が僕にとっての入口でしょうか。
高校時代はポリスのコピーバンドなんぞをやっていたので、どちらかっというとクラッシュにはあまり関心が無く、むしろモッズの「two punks」が心に染みました。
レゲエといえば勿論ボブマーリーとその周辺ですが、
忘れてはいけないのが内田裕也の「餌食」
で、その時よくゲームセンターでお会いしたのがPJ氏(ピーチジョンではないよ)
それで流れに乗って「ジャパン・スプラッシュ」の常連になっていく。
ただ当時のダンスホールは本当に泥臭くて居心地が良かったのですが、
ジャマイカの若者が徐々にアメリカナイズされていくにつれレゲエの本質を業界が見失って行く感じが手に取るように解り、1997年のジャマイカ旅行を境に僕の中でのレゲエブームは去っていきます。
そんな中でイギリスにもちょっとしたシーンがありましてUB40とかアスワドなんかが筆頭でしょうか。
あそこはあそこでパンク直結の2トーンというシーンが失業者問題の波に乗って暴れていたのですが、
僕の中で心に残るレゲエの一曲を上げるとしたら意外とこの辺のダブ寄りなところで、
Steel PulseのRoller Skatesが一番好きです。
まさかのフジロック参加では最前列で泣きながらかぶりつきました。
そのあとがポーグスだったのでスマッシュのセンスの良さに感動すらしました。
先日、とうとうRiddimが廃刊になりいよいよメインストリームからサブカルチャーへ移行するのかと思ったりしましたが、考えてみたらレゲエというのは本来プロレタリアアート的な革命のひとつであって、そんなもので商業音楽として成立していたのが不思議なくらいなのかなぁとシミジミ思う。
Riddimも子供たちに媚びることなく初期衝動を思い出しページを大幅に減らして細々と続けて頂ければなぁと小さく願います。
そういえば来月の23日にminjahの青谷明日香さんがモジョでライブをします。
前回はminjahで思いっきりラバーズ・レゲエを聴かせてくれましたが、残念ながらバンドは解散してしまったようです。
でもそこは着る服は変われど中身は一緒、
素晴らしい歌心でみんなを魅了する事でしょう。
追記
1997年にキングストンであれを観て確信した。
ボブ・マーリーが住んでた家の前に彼の銅像があるのだけど、
レスポールを構えて仁王立ちする姿はホントにカッコいい。
そもそも僕の中ではピーター・トッシュにしろジミー・クリフにしろ音楽のカエゴライズとしてはレゲエとうよりジャマイカン・ロックと呼んだ方がシックリくると思っていたんだよね。
だからジャパンスプラッシュの会場でも興奮するといつも叫んでいた、
ロックンロール!って
ミクシーを見てない方の為に説明しますが、ビートUKがお洒落すぎて苦手でした。
付け加えるならば「渋谷系」というか渋谷という街が苦手でした。
バブルと云うものはマーケティングされたどうでもいいものが横行していてその見極めがまたややっこしくて、
例を上げるときりが無いのですが・・・
今、思えば「イカすバンド天国」というオーディション番組で審査員の土屋正巳が本番中に激怒した瞬間がバブル経済の弾けた瞬間だったのかもしれません。
それで僕はと云うと吉祥寺でぶらぶらしていたのですが、
当時、僕の住まいは仲屋むげん堂の上にあったり、まぁ吉祥寺というのはある種の異次元で、
DCブランドを着込んだ方々もいれば皮ジャンに民族衣装が混ざったいわいるストリートスライダースな方々がいたり、その中にレゲエなども混ざっていてファッションではラフィンノーズのポン氏が僕にとっての入口でしょうか。
高校時代はポリスのコピーバンドなんぞをやっていたので、どちらかっというとクラッシュにはあまり関心が無く、むしろモッズの「two punks」が心に染みました。
レゲエといえば勿論ボブマーリーとその周辺ですが、
忘れてはいけないのが内田裕也の「餌食」
で、その時よくゲームセンターでお会いしたのがPJ氏(ピーチジョンではないよ)
それで流れに乗って「ジャパン・スプラッシュ」の常連になっていく。
ただ当時のダンスホールは本当に泥臭くて居心地が良かったのですが、
ジャマイカの若者が徐々にアメリカナイズされていくにつれレゲエの本質を業界が見失って行く感じが手に取るように解り、1997年のジャマイカ旅行を境に僕の中でのレゲエブームは去っていきます。
そんな中でイギリスにもちょっとしたシーンがありましてUB40とかアスワドなんかが筆頭でしょうか。
あそこはあそこでパンク直結の2トーンというシーンが失業者問題の波に乗って暴れていたのですが、
僕の中で心に残るレゲエの一曲を上げるとしたら意外とこの辺のダブ寄りなところで、
Steel PulseのRoller Skatesが一番好きです。
まさかのフジロック参加では最前列で泣きながらかぶりつきました。
そのあとがポーグスだったのでスマッシュのセンスの良さに感動すらしました。
先日、とうとうRiddimが廃刊になりいよいよメインストリームからサブカルチャーへ移行するのかと思ったりしましたが、考えてみたらレゲエというのは本来プロレタリアアート的な革命のひとつであって、そんなもので商業音楽として成立していたのが不思議なくらいなのかなぁとシミジミ思う。
Riddimも子供たちに媚びることなく初期衝動を思い出しページを大幅に減らして細々と続けて頂ければなぁと小さく願います。
そういえば来月の23日にminjahの青谷明日香さんがモジョでライブをします。
前回はminjahで思いっきりラバーズ・レゲエを聴かせてくれましたが、残念ながらバンドは解散してしまったようです。
でもそこは着る服は変われど中身は一緒、
素晴らしい歌心でみんなを魅了する事でしょう。
追記
1997年にキングストンであれを観て確信した。
ボブ・マーリーが住んでた家の前に彼の銅像があるのだけど、
レスポールを構えて仁王立ちする姿はホントにカッコいい。
そもそも僕の中ではピーター・トッシュにしろジミー・クリフにしろ音楽のカエゴライズとしてはレゲエとうよりジャマイカン・ロックと呼んだ方がシックリくると思っていたんだよね。
だからジャパンスプラッシュの会場でも興奮するといつも叫んでいた、
ロックンロール!って
by mojo-m
| 2011-06-23 05:36
|
Trackback

