文学について

NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」で取り上げた現代美術作家の杉本博司氏の話がとても面白かった。
生活のために古美術商をしながら夕方に店を閉めてから空いている時間でネガを現像する話、芸術家であるということと生きていくということを割り切っている姿勢、そして成功するには古美術商の経験が不可欠だったと語ってます。

技術だけを磨き表現する人は技術者であって芸術家(アーティスト)とはちょっと違うんじゃないかと、たまに生意気なことを言いますが。
どのような表現方法で自分を表現するのかは当たり前に重要ですが、大事なのはその材料「自分」なんです。

高田渡は決して作曲家として優れてはいないし有名な歌詞に至っては山之口貘の作品です。
でも何が魅力だったのかといえば、自堕落で面倒くさい彼自身が作品だったのでしょう。
そういう風に自分自身を作品としてプロデュースできない芸術家は嫉妬を持ち、時に技術論に逃げる。


話しはおかしくなりますが、
僕は全ての芸術表現(プロレスも含め)に対して文学性を重視しています。

「字」ってね、
絵画にしたってタイトルが必要だし、インストの曲にも言葉による説明が有ると無いとではまた印象が変わります。
プロレスにおいては実況と解説の言葉のやり取りは不可欠ですよね。

「字」の力って気づかないところで色んな影響を担っていますよね。
そしてすべての芸術作品は言葉によって解体され再構築され消化されたりと。

若いころ、後輩の大ちゃん(プロレス仲間)が「太宰治にエレキギターを持たせたら絶対に凄いパンクバンドが出来たはずです」って熱く語っていたなぁ。

あ、何が言いたいのかっていうとボブディランが文学賞を取ったことがちょっと嬉しかったってことです。
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by mojo-m | 2016-10-21 02:51 | Trackback

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