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1984年のUWF

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夕方、自分の他にお客さんが誰もいない街外れのカレー屋で、
思わず、カレーライスを食べながら涙があふれてしまった。

柳澤健さんの『1984年のUWF』
あの時のUWFを回想し検証をする本でありながら前田日明本人の証言が一切無く、そこに取り巻く人たちの右往左往を基軸に話が進む。
様々な事件や噂に対する証言はみんなどこかに保身を匂わせて、言うなれば言い訳にも近い解釈が感じ取れる。
そんなことから個人的意見としては前田日明の証言(言い訳)が無かったことが寧ろ前田日明のリアリティ(本物っぽさ)を保護していて、
前田日明に振り回された人たちの発言こそがより一層に前田日明のカリスマとしての輪郭を強調したようにも思います。
これ著者の柳沢さんは意図的に行ったのだとしたらほんとに凄い作家だと思います。

自分にとってアントニオ猪木と前田日明はやはり自己形成の最重要ファクターだということに改めて気づかされた一冊でした。
7色のスープレックスを引っ提げてヨーロッパから帰ってきた彼に中学生の自分は酔狂しました。
そしてその前田日明を持て余す最強アントニオ猪木に生々しさを感じていたのです。
ちょっと前に読んだプチ鹿島の『教養としてのプロレス』で語られる「半信半疑力」は非常に重要な言葉で、裏切られ続けることによってタフになっていく、
白黒つけないモヤモヤしたところで真理を探す、そういう修行をプロレスを通して行ってきたのです。
自分が独自のリベラル感を備えることができたのもこれ猪木さんと前田さんのお陰なのです。

そして結局、アントニオ猪木と前田日明がこの世に存在していなければ全く退屈な世の中で、総合格闘技のプロ選手なんて存在しない世界になっていたかもしれません。
それだけのことを言いきっても過言ではないということを夢枕獏やターザン山本をはじめ振り回された人たちは証明しています。

本書にも頻繁に出てくる「UWFはプロレスにとっての青春」という言葉はつまり自分にそのまま当て嵌まってしまう言葉で、
最終章の中井祐樹さんのくだり、そしてあとがきを読み終えて、同時に最後残った一口のカレーを口に入れた瞬間、冷静であったはずなのに当時の熱情が込み上げてきてしまい、
青春時代が走馬灯のように頭の中に溢れ出てしまった。


余談
先月、自分も主催者の一人として参加しているチャリティーイベントでキックボクシングの世界チャンピオンにデモンストレーションを行ってもらうことになった。
そこでちょっと下心が出て自分もミット打ちに参加してしまいました。
つい出来心、まさに出来心で30代まで夢中になっていたけど燃え尽きてしまったはずの格闘技熱が再燃。
剣道、少林寺拳法、キックボクシング、空手とそれらの経験をしてきた自分はたくさんの素晴らしい先生たちに巡り合ってきましたが、その先生たちの顔や言葉がしっかり記憶されていて、自分の中の宝物として存在していることを再確認。
いま47歳になる手前ですが、過去のがむしゃらな感じとは違う新しい感覚で格闘技と付き合っています。
いつか年老いて身体が動かなくなる時がくる、その時までミット打ちできたらきっと幸せだろうと思ってジムに通うようになりました。
by mojo-m | 2017-07-14 21:02 | Trackback

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